「人生向上委員会」

人生を変えるきっかけとなる素敵な言葉、力のある言葉を毎日発信しています。

「気遣い」と「人の目を気にすること」の違い

どうしてなんだろう?

僕がずっと疑問に思い、誰に話しても解決しなかったコトがあります。
例外はもちろんあるけど、傾向としての現象。

高級車はなぜマナーが悪いのか

本気でコレを悩んでいたのです。いや本当にずっと。
僕は恵まれた環境で、18歳で自動車免許取得させていただいたので、19歳から40歳である今。半生かけても解決しない疑問だったのです。
おしゃべりで自分の意見ばかり述べる僕ですから、当然何度も人に話ました。
SNSでも疑問を投げました。
返ってくる内容はハッキリ言ってどれもつまらないものでしたね。

「無理して買った高級車だから、支払いのために働きすぎてイライラして荒い運転になるんだよ」
「無理して買うから、オプションを一切付けれず、ウィンカーの部分はステッカーなんです」
「心の貧しい人間が虚勢を張って買うから、自分がその車になった気になって人をビビらせて自己陶酔に走る」
「高い車に乗っていると、優越感を感じ、他者を見下すようになるからそんな運転になる」

まとめるとこんなところでしょうか。
これらの意見で、高級車所有の前提を忘れていますよね。
低所得者は高級車を買えません。買っても維持できません。やっすい本体を変えても、修繕費、燃料費、やはり維持できません。節約とかダブルワークとかそんな単純な考えでは乗り越えられない壁だと思います。

買ってからの人
ではなく、
買える能力のある人

という考えが含まれておりません。

僕はそういう方が高級車を買える高所得なのだ

という考えです。これは割と初期の頃からそうでした。
そして冒頭に戻ります。
なぜ高所得者(高級車の運転者)がこんなマナー悪いんだろう…と。

ある書物にこの疑問を解決するに近い文言が含まれていました。

 

貧乏人が激怒する新しいお金の常識

午堂登紀雄「貧乏人が激怒する新しいお金の常識」

新しいと書いてますが、2012年のモノです。
何年間を「新しい」とするかは個人個人で違いますが、少なくとも書かれている概念に対し、「古い!」なんて感じることはないと思います。もしあるとすればすでに金持ちになっているでしょう。その方々が読むことは稀です。

では解決につながる部分に触れていきましょう。

マナーが悪い→人に迷惑をかける
これはほぼ間違いないでしょう。その「迷惑をかける」がポイントです。
迷惑をかけるとことは、挑戦しているという面を持つというのです。
思い出して下さい。
店名を出してしまいますが、セブンイレブン
あの規模の店舗が昔ありましたか?
最新商品や品揃え豊富で、です。
なかったはずです。
大量の商品を一度に大量に運ぶことで輸送のコストを下げるため、同じ商品を大量に運ばないとコストがかかりすぎます。
しかし、「多数の店舗展開をするからそれらの店舗にちょっとづつ運んでほしい」というセブンイレブン側の主張は明らかに周りに迷惑がかかったことと思います。
しかし結果は大成功。
挑戦が迷惑をかけるわかりやすい例です。

成功者と呼ばれる方は、自分が「勉強」「経験」と言っても、第三者は「失敗」というでしょう。もっとも、「99の失敗、1の成功があれば良い」と言い切る成功者もいるので、そこは表現の仕方としか言えません。
いずれにせよ、成功者は常に挑戦しているという点は当てはまります。

周りを気にしすぎて常識の範囲で動くのが恐らく私たちです。
周りの目を気にしすぎず、自分の信じるように挑戦するのが成功者ではないでしょうか。

もちろん、だからと言って周りに迷惑をかけていいのか?という話にはなりますが、これは日本人の思考です。
最近、経済的にも急成長して大変なことになっているインドでは、「人に迷惑をかけて生きるのだから、自分も他人を許そう」という考えだそうです。

日本では出る杭を打ちますから、まさに「自分はルールを守っているのだから、ルール守らんヤツはゆるさん」という考えになるでしょう。
そのルール破りが高級車の運転者、という考えに至ったのです。

ではまったく逆の視点で。
マナーの良さって何だろう?です。
それは気配り、気遣いもあるでしょうが、人の目を気にしてルール通りに動くことではないでしょうか。
僕はマナー良い目と自分では思っておりますが、モロに後者なのかなって思います。
別に優しい人間ではない。はやり後者なのです。

深層心理の分野で、お金持ちになることを否定してしまっている。

そして、高級車の運転者に対しての妬み。
僕へ回答くれていた方々も、妬みが入っているのは文章からもわかるでしょう。
悪いところを探し、なぜ高所得になるのかというアプローチをしている人に出会ったことがありません。
当たり前ですが、妬むということは好きではないということです。見習うことなんてできないでしょう。
挑戦者である方々を妬む前に、挑戦している姿勢を学ぶ姿勢が僕には必要だったのです。